はじめに——色あせない音楽とは何か
ある表現が一般化したとき、それは「常識」の枠組みに取り込まれる。 そして、その瞬間に本来持っていた魅力を失うことがある。
かつてのPCゲーム、アーケードゲームの音楽を思い出してほしい。 FM音源が奏でるあの響き。PSGが刻むあのリズム。 今のゲームにはない何かが、あの時代のサウンドには確かに宿っていた。
そして不思議なことに、それらの楽曲は今聴いても色あせない。 ハードウェアの制約の中で生まれたはずの音楽が、30年以上の時を経てなお、聴く者の心を掴む。
この「色あせない魅力」の正体は何か。
そして、それを現代の技術で蘇らせることはできるのか。
今回は、失われたゲーム音楽文化を「サルベージ」するという視点から、 この難問に挑む活動計画について語りたい。
第1章:現代のDTMに「足りないもの」
現代のDAW(Digital Audio Workstation)——CubaseやLogicといったシーケンサーは、驚くほど高機能になった。 FM音源のプラグインも存在し、かつてのOPN/OPMの音色をソフトウェアで再現することすらできる。
だが、それで当時の魅力が再現できるかというと——答えは「否」だ。
何かが足りない。音色は似ていても、あの「生きている」感覚が欠落している。 私はその原因を、二つの仮説として考えている。
仮説1:ドライバのロジックが生む「命」
かつてのゲーム音楽は、汎用のシーケンサーではなく、 そのゲーム専用に設計されたFM音源ドライバで鳴らされていた。
たとえば、MSX2の名作RPG「Xak」、「Fray」。 これらのゲームの楽曲は、たった2オペレータのFM音源とPSGで鳴っているとは信じがたい。 まるで一台のオリジナルシンセサイザーであるかのような、独自の響きを持っている。 それは、音源ドライバが単なる再生装置ではなく、 楽曲の表現そのものを形作るロジックとして設計されていたからだ。
さらに象徴的な例がある。 PC-8801版「イースII」のオープニング曲——「TO MAKE THE END OF BATTLE」。 この1曲のためだけに、他のシーンとは異なるチューンナップされたサウンドドライバが用意されていたという逸話が残っている。 1曲のために、ドライバごと作り替える。その執念が、あの曲の凄みを生んでいた。
現代のDAWには、この「ドライバのロジック」に相当する概念がない。 MIDIノートを並べ、音色を割り当て、エフェクトをかける——その汎用的なワークフローでは、 ハードウェアと一体化した独自のロジックが生む「命」を再現できないのではないか。
仮説2:失われた音楽理論の力
もう一つの仮説は、楽曲そのものの構造にある。
当時の優れたゲーム音楽には、いわゆる「ポップスのコード進行」とは異なる、 独特の和声感覚が息づいていた。 非和声音の大胆な使用、調性の曖昧さ、モードの切り替え——。 これらは、ドビュッシーやラヴェルに代表される近代フランス音楽の手法と、 驚くほど共通している。
当時のクリエイターたちは、意識的にせよ無意識にせよ、 こうした音楽理論を自分の中に取り込み、FM音源という限られた楽器で独自の世界を構築していた。
いま、当時と同等の音源やドライバを使えたとしても、 必ずしも魅力的な楽曲にはならない——そう感じるのは、ここに起因するのではないか。
ハードウェアだけを復元しても、そこに乗せる音楽の「文法」が失われていれば、 あの時代の魅力は蘇らない。
第2章:ハードウェアの側から——MMLとドライバの再発見
では、どうするか。
まず、ハードウェアの側面からアプローチする。 あえて現代のDAWを使わず、当時の制作環境——MML(Music Macro Language)によるFM音源ドライバの直接制御——を、 現代の技術で再構築する。
MMLとは、音楽をテキストで記述する言語だ。 「CDEFGAB」で音階を、数字で音長を、記号で各種パラメータを指定する。 一見すると原始的に思えるが、この「テキストで音楽を書く」というアプローチには、 DAWのGUI操作にはない決定的な利点がある。
それは、ドライバのロジックをMMLの中に埋め込めるということだ。 音色の切り替え、エンベロープの制御、ディチューンの揺らぎ—— これらをMMLのマクロとして定義すれば、曲の構造とドライバのロジックが一体となる。 まさに、当時のクリエイターたちがやっていたことと同じ方法論だ。
前回設計した夢のマシンには、OPN × 2 + PCMという音源構成がある。 この音源を、専用設計のドライバで——MMLで——直接ドライブする。 DAWという「汎用の仲介者」を排除することで、 ハードウェアとクリエイターの意図を直結させるのだ。
第3章:ソフトウェアの側から——音楽理論の再接続
ハードウェアだけでは足りない。 もう一つの柱——音楽理論の側面にも向き合わなければならない。
当時のゲーム音楽が持っていた「非和声的・非コード進行的」な特質。 これは、近代フランス音楽をはじめとする古典的な音楽理論に根ざしたものだった。 教会旋法、全音音階、平行和音、非機能的和声——。 これらの技法が、FM音源の倍音構造と結びつくことで、 あの独特の「異世界感」が生まれていた。
しかし現代では、これらの理論は「一般的な作曲技法」としては継承されていない。 ポップミュージックの文法が支配的になり、 かつてゲーム音楽の個性を生んでいた和声の語彙は、静かに失われつつある。
だからこそ、音楽理論の再学習と再接続が必要だ。 近代フランス音楽の和声法を学び直し、それをFM音源の文脈で再解釈する。 「なぜあの曲は心に残るのか」を理論的に分析し、 その知見を自らの楽曲制作にフィードバックする。
ドライバという「器」と、音楽理論という「魂」。
この両輪が揃ってはじめて、失われた文化のサルベージが完成する。
第4章:混迷したコンピューティングへの回答
この挑戦は、単にレトロゲーム音楽を再現する試みではない。
Vol.7で語った「混迷したコンピューティングの世界」。 UIの氾濫、機能の肥大化、ユーザーとコンピューターの間に積み重なる無数の仲介者——。 音楽制作の世界にも、まったく同じ問題が起きている。
DAWの画面には膨大なパラメータが並び、プラグインの選択肢は無限に広がり、 しかしクリエイターと「音」との距離は、むしろ遠くなっているのではないか。
MMLでFM音源ドライバを直接叩く——それは、 テキストエディタでコードを書くプログラマーのように、 クリエイターと表現対象の間から余計なものを取り除く行為だ。 Vol.6で語った「透明な道具」の思想は、 サウンドの領域においても有効なのだ。
サルベージの航海へ
失われた魅力を海底から引き揚げるように、 一つひとつ、丁寧にサルベージしていく。
ハードウェアのロジック——専用ドライバとMMLによる直接制御。
ソフトウェアの知恵——近代音楽理論の再学習と再接続。
この二つの柱を軸に、かつてのゲーム音楽が持っていた、 あの言葉にできない魅力の正体を突き止め、現代に蘇らせる。
あの時代の音楽は、決して「古い」のではない。
まだ、正しく受け継がれていないだけだ。
サルベージの航海は、ここから始まる。